「日本水泳部」の中での共通言語


最近、また泳ぎ始めた理由はいくつかあるのだが、
そのうちの大きな理由が「共通言語としての水泳」である。


将来のビジョンに「水泳界への貢献」を密かに掲げている私にとって、
私自身がより速く泳げること、そしてそれを維持することは将来とても重要であると考えている。



最近あった出来事。


仕事絡みでお会いした初対面の方と、話し始めて約10分後、
彼が名門日大豊山の元インターハイチャンピオンであることが発覚。
手前味噌ながらではあるが、wikipediaで微かにhitする私自身の経歴もお話をさせていただくことで、
親近感を急速に強めることができた。



半年前にあった出来事。


やはり仕事の関係でお会いした方と名刺交換をした際、
マナー通りに私の名詞の名前を見つめた後、彼が言葉を発する。
「山浦さんって水泳されていませんでした?」
ご名答、でも何故?と聞いてみると、
彼もインカレに出場経験のある、”山本貴司世代”のバタフライ選手であることが判明。
同じ種目ということもあり、プログラムの記録一覧で私の名前をよく見ていたとのこと。



上の二つのエピソードは過去の「遺産」を利用した、水泳という共通言語を用いた「会話」である。


水泳に携わった、もしくは現在進行形の方には、
健康維持を目的とした方、競技者(ジュニア、学生、実業団)、そして一部のプロがいる。
多くの人が様々なバックボーンを持ち、学校や企業などの別のコミュニティに属しながらも、
水泳というコミュニティを「兼部」し、活動している。
その中で、泳ぐこと自体が、いわば「日本水泳部」というコミュニティの共通言語となる。


人間は元来、変化を嫌う生き物。
「水泳」に変化をもたらしたい考えている私にとって、「日本水泳部」でスムーズな会話をするためにも
泳ぎ続けることが必然であると考えている。


前述した二つのエピソードはあくまで過去の「遺産」を用いた、偶然の産物に過ぎない。
そして、過去の遺産は時とともに目減りする。
今後、必然を意図的に生み出すためにも泳ぎ続ける必要がある。



今、アルファブロガーでお馴染みの梅田望夫氏の薦められるままに、
水村美苗著「日本語が亡びるとき -英語の世紀の中で-」を読んでいる。


普遍語としての英語、そして対比され存在を問われる日本語や他の言語。


言語の在り方をなぞっていくうちに、
自分の中の水泳に対する考え方がリンクし、水泳を「共通言語」と変換するに至った。


ちなみに新潮1月号は個人的に必見。
「日本語の危機とウェブ進化/水村美苗梅田望夫/議論沸騰『日本語が亡びるとき』をめぐって。」


日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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新潮 2009年 01月号 [雑誌]

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