アスリートは2度死ぬ


1度目は選手人生を終える”死”、そして2度目は人生そのものの”死”である。


個人的に2度目の人生を過ごし始め、同世代の元選手が2度目の人生を始め、過ごしていることを見て感じることは、
アスリートはもっとセカンドキャリアを真剣に考えないといけないということである。
厳密に言うと、考えさせないといけない。


なぜなら他の人よりも競技を続けることができただけの成績を収めた才能や、努力できる才能を持っているから。
彼らの才能は社会という2度目の人生においても必ず人並み以上の力を発揮できる、汎用性の高いものだと思う。
また、彼らにはセカンドキャリアによってスポーツ界にどんな形であれ恩返しをする義務があると思う。
スポーツによって得られた経験は人生の上で何物にも変えがたいという自覚を少なからず持っている以上、
その義務はあると思う。


しかしながら、それらの現状は決して上手くいっていないと感じている。
しかし彼らを責めることはできない。理由は二つあると思う。


■競技社会における市場価値と社会における市場価値の乖離に対する認識不足
 競技者は人生の目標になんぞ構ってはいられない。
 競技人生の大きく厳しい目標があるからだ。
 競技社会における市場価値と社会における市場価値はある閾値以下では相関関係が無いと思う。
 閾値は、プロ化が確立されている競技とそうではない競技ではまったく異なるが、
 例えば競泳で言えば、閾値以上の選手は北島康介選手だけである。
 よって閾値以下において、アスリートのレベルが高ければ高いほど、
 その市場価値の乖離が起きる。
 その乖離を、競技に夢中になっている選手に主体的に認識させることは難しい。


■競技経験をダイレクトに生かすことができるキャリアの仕組化の遅れ
 スポーツ選手が「スポーツに恩を返したい」という義務感をたとえ持っていたとしても、
 それを生かせるキャリアの幅が非常に狭い。


この不況の中、スポーツが企業のお荷物となり、アスリート自身の存在理由が問われている中、
「スポーツは儲からない」という認識が根付き、実際にそうなのかもしれないが、
個人的には「儲け方が下手くそ」なのではないかという仮説を勝手に立てている。
そのうちの一要因として考えているのが、今回取り上げた題であり、
「アスリートOB」の活かし方によって、もっとスポーツは市場価値として向上できると考えている。


方法は主に二つあると思う。


■キャリアコンサルティングの仕組化
 先日の新聞でスポーツ庁構想の話題も上がってはいるが、JOCのシンボルアスリート制度などを見ていても、
 任せてもいいものかと疑問を持ってしまう。
 学校の進路指導の先生が公務員としてではなく一般社会におけるビジネス経験が無いのと同じように、
 やはり国ではなく、企業側の”プロ”からのアドバイザー機能の普及が必要だと思う。
 インテリジェンス社やリンクアンドモチベーション社などがさきがけと言えるが、本格的にはこれからだろう。
 企業任せにするだけではなく、もしかしたら親よりも彼らよりも接する機会が多い、
 指導者への意識付けも必要かもしれない。


■スポーツ経験を生かした職業の仕組化
 最近では体育家庭教師、PR会社などスポーツ関連の新しい職業も増えてきているが、
 仕組みとしてはこれからだと思う。
 経験を生かし、個人で公共プールで指導などを行っている方も周囲で少なくないが、
 PRが十分にできているところは少ない。
 職業を創出する、というよりは創出された職業をいかにマネタイズさせるかが課題だと思う。
 個人的にはやはりwebの力がキーになると考えている。 


ここまでアスリートとその周囲にフォーカスを当ててきたものの、
はっきりと言えることは、最終的には自分次第である。
逆説的ではあるが、社会に出てしまえばアスリートであろうと何であろうと関係ない。
”2度目の人生”は1度目のそれ以上に自己責任が問われる。


自分の強みをしっかりと認識すること、
その上で自分が人生において何を目標とするのかを定めること。
強みを認識する上で、先日読んだ「さあ、才能に目覚めよう」は非常に参考になった。
web上で取り組むことができる付録によって自分の強みが明確になる。


今までは自分の成果を図るための試合が定期的にあり、
目標設定のための”節目”があるが、
人生において”いつまでに”は自分以外決めるものはいない。


先日のblogで渋谷の交差点での赤信号の話を何気なしに取り上げたのだが、
最近読み終えた、五木寛之さんの「人間の覚悟」に青信号の話が取り上げられていた。
信号の色は真逆だが、本質的には同じ。
自分で自分の人生に責任を持ち、自分の判断で人生を作り上げるしかない。


青信号だからといって何も注意を払わず、平気で直進してはいけない。
青信号は「通ってもよい」というサインだと交通法規できまっていますが、青信号でも横から進入してくる
非常識な車は皆無ではありません。


そう思えば青信号でも必ず左右に注意して通過するべきで、
「法律を無視して横からぶつかって来たやつがいた」と怒ってみても、
いいわけにならないのです。


(省略)


たとえ法律できめられていたとしても、運転者の中には酔っぱいもいれば、無茶をする者もある。
青信号を通過して事故に遭った自分は悪くない、などと言ってもはじまらないでしょう。


人間の現実は昔からそういうものですから、法律できめられていたとしても、
自分自身を法律で守ってもらおうとは考えない方がいい。


勝間和代さんの「断る力」の内容も常に自分にフォーカスを当てる姿勢の重要性を説いている。
私のアクアスロンのパートナーであるN氏も良く言っている。


「人生は選択と集中だよ。」


彼は前職でも優秀なセールスマンであり、今もキャリアコンサルタントとして非常に優秀である一方、
毎日約10〜15kmのランニングを欠かさずに行っている。
自分には何ができて、何がやりたいか。明確にした上で、
周りに惑わされること無く一途に行動するその徹底ぶりは、
隣で見ていても非常に参考になる。


私自身も「あえてスポーツとは無関係の世界に飛び込む」と心に誓い、社会に飛び込み早くも5年が経った。
今までの短いキャリアの中で得た経験を生かし、
お世話になったスポーツ界に対して恩返しをしないといけないと少しづつ感じている。
そういえば、N氏との会話は最近その話題ばかりである。


アスリートは稼ぐ力が弱いとか、もっと頭を使えと言っているわけではない。
幸せや価値観は千差万別であり、一概に言えるものではない。
ただ、現役時代ほど生き生きしている人が少ないと肌で感じてしまうことがある。
1度目の人生よりも2度目の人生のほうが長い。
そして、競技を真剣に取り組んできた共通点を持っている以上、
そんな状況を見過ごすことができない今日この頃である。



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