バッハ「マタイ受難曲」と参宮橋水泳練習会での笑顔が教えてくれた、あまり意味のなさそうなこと。


先日、三菱地所さんのご協力で新丸ビルの一室をお借りして開催された勉強会に参加。
バッハの「マタイ受難曲」について。


「宗教を学べ」


最近そう諭される機会がいくつか。特に海外生活の長い方々から。
そんなタイミングで勉強会のお誘いがあり参加。


まだまだ理解度は低く、さらなる勉強が必要ですが、
勧める彼らの言わんとすることが自分なりに少し理解できた気がします。
素直にもっと早いうちから触れるべき分野でした。


純粋に知的好奇心を煽られました。
テーマが3時間以上の大規模な音楽作品であり聖書と共に内容を紐解いていくという規模感。
ただしこの知的好奇心の源泉は規模感とは別の「学ばなければいけない」衝動にありそう。


一人称の「我」以前に、自身の生死を問わず流れる世の中の時間軸における、
自己の生きがいや存在意義を定義する上でこれらの勉強は必修科目と言えるのではないでしょうか。


ブログや直接的なコミュニケーションにおいて、読んだ本や勉強会、セミナーの内容をシェアすることは
日常的にありますが、どうも小手先の指南書やセミナーの感想が多いと感じていたところでした。


松下村塾は欲を扇動するような自己啓発をしていただろうか?
史に名を残す人物たちはビジネス新書を読み漁っていただろうか?


歴史、哲学、宗教、思想、道徳・・・


「目先の仕事に直結しそうだ」と緊急度にとらわれることなく、
重要度にフォーカスを当てると自ずとこれらの必要性が必然的に浮き上がるものです。








参宮橋。
土砂降りの中、オリンピックセンターでの練習会。


皇居駅伝で、野本氏に紹介頂いたランナーFさんも合流したこともあり、
自分のトレーニングそっちのけで急遽、臨時水泳教室開催。
腕や足の細かい動きについては一切触れず、体の重心について、1時間以上かけ3stepに分けて実践。
腕を伸ばしている側に体が”乗っている”感覚を身につけて頂きました。


「水泳ってこんなに楽だったんですね」
「もっとスカーリングとか部分的な指導が多いと思っていました」
「ほかの練習会でのフォーム修正よりも明らかに改善できたと体で感じた」
「早く本番で試したい!」


何よりも、笑顔が収穫。
本当、嬉しかった。


目に見える問題点はそれ自体に原因があるのではなく、
目に見えにくい、根っこの部分に問題点があることが多い。


でも目に見えるものほど、直したくなる。
そこにジレンマが生じやすい。


また、成熟期と成長期の指導は異なります。
成長期には体を支えるための、体の軸に近い、泳ぎのベースとなる部分を中心に、
成熟期にはベースが出来上がっているので、各々の持つ課題に対する局所的な指導になります。


広島カープ前田健太選手はボールのリリース時、スナップの力加減を変えることで、
今期前半から目覚しい活躍をされました。


ピッチングにおけるパワーは体幹のねじれから始まり、
肩の旋回、肘の回旋、手首の返し、そして最後に指先の球離れと伝わります。
それらの一連の流れの中で、前田選手は最後の枝葉と言える部分の上達がパフォーマンスを向上させた、
成熟期における典型的な例です。





本質。
本当に大切なこと。







一見、お金にならない。
一見、仕事とは関係のない。
一見、幸せを生み出さない。
一見、意味のない。


かっこよくない
かわいくない
みんなとおなじじゃない







周囲の声だとか、見栄だとか、私利私欲だとか、短期的な利益だとか、
本当に大切なことの前に立ち塞がる、目先の安心、安定、幸福。


拭い去るために必要なのは、かつては吉田松陰が、今は孫正義が伝え続けている、「志」にほかならない。


大志である必要はないと思う。背丈に合うなら、「小志」でも。


自分で決めれば、それでいい。