「選手として、人としての認知」 アフロスポーツ スポーツ報道写真展「IMPACT」を観て雑感



青山で開かれているアフロスポーツ写真展「IMPACT」を観てきた。
競泳では、北島康介選手、入江陵介選手の写真を見ることができた。


そのような一流選手ばかりの写真集の中、未だ陽の目を見ていない、四回戦ボクサーなどを取り上げたボクサーの写真集「拳の行方」を見つける。カメラマンはボクサー出身の中西祐介氏。


■「拳の行方」
http://www.tic-box.com/doc-nakanishi/nakanishi-index.html


ちょうど今、読んでいる福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」にも、


「"an unsung hero"」


という表記がある。



DNAが二重ラセン構造をしていることを発見した、としてノーベル賞を受賞した、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリック。彼ら"sung heroes"がその結果を導き出すまでの前提を作ったとされる、オズワルド・エイブリーとロザリンド・フランクリン


亀田兄弟、内藤大助選手達をはじめとする陽の目を見た"チャンピオン"の後ろには、数々の"unsung hero"がいる、正しくは"チャンピオン"である彼らも皆、以前は"unsung hero"であった。
(デビュー当時からマスコミに取り上げられる一部選手は除くが。)


ボクサーとして、そして人として、彼らにはそれぞれ人生があり、目標がある。"hero"になることだけが目標ではないかもしれない。ボクサーとしての彼らを認知をし、取り上げ、全力で戦う"瞬間"をプロの技でとらえる。その中西氏の写真を見ながら、登場する彼らに自分の競技人生を重ね、込み上げてくるものがあった。


私自身、最終的に競泳の選手としてはオリンピックにもかすらない、二流選手に終わったが、時期によっては"a sung hero"と言える時期もあり、人よりも少しだけ深い"山と谷"を味わえたのではないかと思っている。


ジュニア時代には全国で優勝し、高校時代にはインターハイで決勝にすら出られない。大学時代には仲間に恵まれ、二流なりの"挽回"をすることができた。そのような約15年の競泳人生を通じて、人の関わりについて感じたことがある。


それは人に対する認知の深さだ。


今回の北京オリンピック女子のキャプテンを務める中西悠子選手。
同い年の彼女とは中学2年の頃に合宿で初めて出会った。10年以上経った今も気さくに話しかけてくれる。


また、前回アテネ大会での競泳のキャプテンを務めた山本貴司選手。
所属が同じグループということもあり、彼が中学3年生のときに遠征を共にして以降、私が伸び悩んでいた時期でも、お会いする度に必ず、「調子どうだ?」「がんばれよ!」と笑顔で励ましてくださった。


一方で、成績に応じて接し方を変えてくる人も多かった。
小学生の頃は仲良くしていた、と思えば高校生になり、避けるような態度をとる。また大学生になると、接点を持とうとする。彼らは「私」という「個人」を認知せず、「全国大会で優勝した人」との接点を持ちたいと思っていたのだろう。商店街で番組撮影をしていると、名前も知らないタレントに「テレビの人」とキャーキャー寄って来るおば様方と、原理は同じである。彼女らほど冷たい人種はいない。なぜなら、テレビに出なくなった瞬間(もしくはテレビに出ていることを知らない時点で)、一般人と同じ扱いをするからだ。


そして、定量的なデータこそないが、中西選手や山本選手のような接し方が変わらない方々は息の長い選手が多く、また、現役を引退しても、それぞれの道で活躍している人が多いように思う。


逆にそうでない方々は自分に対しても「一個人としての自分」と「選手としての自分」の区別がつけられないのだろう、選手として不調になると元気が無くなり、そして引退し、その後もあまり良い噂を聞く人は多くない。


野球選手やタレントなどにも引退後のスキャンダルは多いが、「華やかな舞台の上の自分」と「一個人としての自分」の乖離に対する認知の遅れが原因ではないだろうか。それらの乖離に気づかず、気づいた時にそのギャップにショックを受け(もしくは受け入れられず)、心のバランスが乱れる。


その乖離を防ぐことはできない。しかし、当人に認知させることはできる。
その役割は家族、友人といった周囲の人々が担っている。彼らが選手に対して、一個人として接することで認知させることができる。ただでさえ賞賛され、「華やかな舞台の上の自分」を認知させられやすい立場にある中で、彼らの役割は重要である。私に置き換えてみると、まず、どんな時でも変わらない家族がいた。一方でプールサイドで子供以上に"わめく"親御さん達もたくさんいた。目の前の息子娘の結果に泣き、笑い、怒り、時には指導する。これではまったく、誰がコーチか分からない。そして学校の友人たち。当時はそんなことを思いもしなかったが、今思えば自分は本当に幸せだったと思う。


競泳などアマチュアスポーツは特に引退後のキャリアがゼロからのスタートとなる場合が多く、現役時代と引退後の"乖離"を生みやすい。

最近でこそ「セカンドキャリア」という言葉も生まれ、そのスタートをスムーズにする仕組みが整いつつあるが、万全とはいえない。先日も、引退した同級生からキャリアの相談を頂いたが、人のキャリアを日々見ている自分の脳みそがどこかで役に立てればと思う。


そして、地位、名誉に左右されず、ボクサーという括りだけで彼らを認知する中西氏とその写真に注目していきたい。
また、そのような目先の、わかりやすい"モノ"に対して過剰に反応せず、人やモノの本質を見ているか、改めて自分への戒めとしたい。


■アフロスポーツ社
http://www.aflosport.com/



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