北島康介選手の今後


競技も終わっていないうちから、「北島引退」報道が加熱気味。


メドレーリレーも終わり、北島選手もレースを終えたので、自分なりの考えを。結論から申し上げれば、私は北島選手の引退の可能性は高いと考えている。理由は主に下記2点。


■精神的・肉体的問題


最近でこそ、選手の競技寿命は延び、大学生社会人でピークを迎える選手が大半になったが、1992年のバルセロナオリンピック、1996年アトランタオリンピックの頃までは中・高校生でピークを迎えることも多かった。先日も日経新聞のスポーツ欄に中村真衣さんが寄稿されていたが、当時のオリンピック出場メンバーを見ても、特に女子に関しては中・高校生を中心としたメンバー編成であった。これらの競技年齢の低さと短さからも他競技に比べて、競泳が肉体的・精神的な負担の大きい競技であることが伺える。北島選手はさらに人一倍のプレッシャーに晒されてきた。北島選手が世界レベルの選手となったのは、4位となった2000年シドニーオリンピック前後であるから、現時点で8年間も世界とトップ争いをしていることになる。ロンドンの時点で北島選手は30歳。シドニーアテネの両オリンピックを花形種目である100m自由形で制覇し、今回3連覇を挑んだオランダのピーター・ファンデンフォーヘンバンド選手が今回30歳で出場しているが、一連の報道からも、北島選手は腰、ひざには相当の慢性疲労が蓄積していると考えられ、肉体的な部分を併せると3連覇への挑戦は考えにくい。


 
■市場価値的問題


引退誰の判断によるものか、と言われれば、当然ながら選手本人である。ただし、国民栄誉賞が検討されるような存在である時点で、北島選手は既に”一般人”の枠を超えている。そのため、一人だけで全てを決めて良い存在ではない。判断をするう上で影響する大きな要因の一つとして、マネジメント会社の存在が挙げられる。いわば競技以外の面において基本的に素人である選手の価値を資産運用する会社である。当然、引退は最終的に本人の意思によるものではあるが、例えば岩崎恭子選手を始めとする、過去に競技レベルがピーク時以外のタイミングで辞めた選手たちがマネジメント会社と契約していたら、恐らく引退時期も変わっていただろう。最近はスポーツ選手の鮮やかな引退と復帰を目にする機会が増えている。その鮮やかさによってメディアの露出も増え、選手の市場価値が向上し、周囲に良い影響を与えることができることは喜ばしいことではあるが、一方で商用的価値を意識するあまり、スポーツ本来の醍醐味である人間らしさが失われてしまう懸念もある。選手の人間らしさは選手の意思によってのみ生み出される。北島選手が、「おれも、ナカタヒデと同じように、世界を一周して、世界の子供達に水泳を教えたい。お菓子も好きだから、湖池屋のCBO(チーフ・ブランディング・オフィサー)として、まずはポテトチップのブランディングを手がけたい。」と言っても、マネジメント会社は首を縦には振らないであろう。事実がどうであれ、「あのマネジメント会社は一流選手のメディア戦略がワンパターンだ」とメディアに後ろ指を刺されるだろう。あるいは「北島精肉店の跡継ぎとして、まずは3年間の皿洗いから始める」と希望を出しても、まずマネジメント会社は難色を示すだろう。北島選手はマネジメント会社と契約した頃から未来のスイマーである子供達や競泳界全体に対する意識が高まったように思える。全てがマネジメント会社の意向の元に動いているとは思わないが、”公人”としての意識を強くさせたきっかけにはなっているだろう。そのような意識を持つ北島選手が自分のため、周囲のためを考え、最良の判断を下されるのではないだろうか。


学生の頃、スポーツ社会学の講師が、講義の前置きとして教壇で最初に発した言葉が今でも忘れられない。


「主役は君たち選手じゃない」


教室内には日本のトップアスリートが多数いる中での発言だったので、あの張り詰めた空気は8年経った今でも感覚として残っている。学生の時よりも世間を知るようになり、この言葉の重みを最近になって感じることが多い。昨日アップしたイトマンスイミングスクールの買収の件、オリンピック、NFLを始めとしたスポーツコンテンツの放映権の問題、スポーツマネジメント会社の上場など、スポーツビジネス関連の話題が最近目に付くことも多い。


そんな中、個人的には北島選手には自分のやりたいようにやって頂きたい、というのが本音。立場上、難しいとは思うが。とりあえず、ゆっくりしていただきたい。